写凡珠

ニコン Z f で京都を中心とした関西の風景を撮っています。しゃぼんだま、と読みます。

Kindle Unlimited で CAMERA magazine のバックナンバーを読むのが至福

CAMERA magazine は元々フィルム専門のカメラ雑誌だったのが、F5.6というデジタルカメラの専門誌と統合したという歴史があり、このフィルム専門の時代を合わせると2005年からの長い歴史を持っていたりします。2016/12/02 時点で Kindle Unlimited だとこのフィルム時代からのバックナンバーも読み放題なので、こちらの方も読んでみました。

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写真独り言:観て良い写真と撮りたい写真

他の人の写真を見て良いと思うかどうか、というのはいろんな基準はあるだろうけど、最終的には自分の眼の代わりという役割をどれだけ高度にこなしてくれたかということに尽きるように思う。なので、観たこともないもの、行ったことのない場所、遭遇し難い瞬間を捉え、さらにはその前後に様々なものを想起させる写真の価値は高い、少なくとも自分にとっては。また、逆に、こんなものを撮ったのなら、こうしたらもっと面白く美しく撮れたんじゃないの?俺がその場に居たらこうするよ、俺がもっといい眼になるよ、と思わせてしまったらよい写真ではないように思う。写真撮影テクニックはそういう減点を減らすためにあるように思う。

しかし、自分が撮った写真は少なくとも撮った瞬間に既に「観たこともない」ものでも「行ったことのない」場所でも「遭遇し難い」瞬間でもないわけで、良い写真を撮るには、自分の中に自分ではない、他の人の視点を想定し保持し続けざるを得ない。自分ではない他の人の視点のためになぜそのようなことをするのだろうか?そのような努力をして撮りたい写真とはなんだろうか?

あえていうなら、自分がその場所でそれを目撃したという証を他の人の眼にも焼き付けたいという自己顕示欲から来るのかなあと。今時点で、自分なりに考えた結論としては、写真は、自分と世界と他人との間を繋ぐ刻印のようなものではないかと。なので、自分ー世界他人のトライアングルを忘れなければ、何をどう撮るのか迷わないような気がする、今時点では。

逆に言うと、自分が眼になろうという自己顕示欲、切り取られるべき一コマを潜めている世界への好奇心、想定、実存を問わず写真がさらされることになる他者の視点、の3つをバランス良く整え続けなければ、写真趣味も終わるのだろうな、とも。